日本への橋渡し

日本の漫画業界で培った16年全てのノウハウを軸に、海外の風土に合ったプロセスを経た上で、日本人作家と同等の質を持った人材を育てれる環境を構築する事で、漫画業界の競争活性化が図れると考えて活動しています。 

学校代表としての活動

マウリシオ オサム

私はブラジルで生まれ、8歳で日本へ移り住んだ後に28年間の日本生活を経た中で出会った漫画文化をきっかけで楽しく日本語や文化を学んだ事や、多種多様な漫画の存在でさまざまな視点の存在を知り得た事で興味を持ちました。

私立高校を卒業して代々木アニメーション学院・漫画家プロ養成科入学し在学中に原哲夫先生のスタジオでアシスタント活動開始。

アシスタント本採用中に、幾つかの作家さん達の助っ人経験も得って、入社数年後に一時退社するも、原先生の元で半年以上助っ人を続けつつ同時に他の多くの作家の助っ人も経験する。

途中別の漫画家の梅澤春人先生のスタジオへも入社するも、生活スタイルが合わずに凡そ半年ほどで敢えなく退社。

再び原先生のスタジオへ再入社後に、暫くの後に出版母体の変更に伴ってスタジオのシステム形態も変更した際に、全体のサブチーフというポジションで2人の新人作家さんのチーフと同時に原哲夫先生のサブチーフを兼任し漫画制作と並行して、新人のアシスタントの教育と全体のバランス調整と、画材の調達と先生の御用伺いと、漫画で使用する全ての資料調達をすることが主な仕事スタイルでした。 

ブラジルを足掛かりに自分の漫画経験を世界に役立てたいと考えました。

日本在住中に、ブラジルで生活する家族や親戚とのやりとりで、現地の大まかな漫画ブームや日本ブームの盛り上がりを知っていった情報をベースに、更に独自にネット情報で確認するのと同時に、その環境で自分のスキルや経験をどこまで活かせるのかを練っていきました。

結果を構築する為の時間が掛かるのは理解した上で、実際の環境や考え方・国民性と更に語学力を高める良い機会と捉えた上で、ブラジルに足りない部分を補う事が出来れば、自分のプランの取っ掛かりが出来ると考えました。

ブラジルを含めた西欧文化圏の人たちに、そのままの形でアジア圏のノウハウを押し付けるのでは無くて、その国に合わせた形態で理解し易くした上で伝えたいと考えました。

ーその為には、自分の生まれた境遇が最適だと考えます。

ポルトガル語の勉強を兼ねて、更に現地の若者たちの漫画に対する受け入れやこちらでの漫画の位置付けや価値等、肌で感じ取れる情報を感じ取りつつ、漫画の普及の問題点を探り、研究の上で自分の学校を発足する準備を整えました。

コロナ禍の世界で、オンラインの必要性が高まったからこそのチャンスだと感じました。 ネットを理解・使用するユーザーの増加が、漫画文化の必要性を高める一つの光だと考え、2022年 6月開校 オンライン形式の授業を始めました。

プロの漫画家を目指す若者達の為の、現地の方が理解し易い形をコンセプトに作ったカリキュラムを立て、世界で活躍出来る人材を造ることを目指したオンライン形式での授業を、理解と知識と経験のある仲間たちと共に開校させました。

橋渡し

前述した通り、自分の産まれの数奇と漫画文化との巡り合わせの縁から、自ら得た経験や知識・技術を現地の漫画家を志す次世代の若者達の、本来超えなければならない日本語の言葉と技術の理解を短縮出来れば、有益な才能ある者を同等の舞台に立たせれれば、漫画業界全体の競争力が高まると考えております。

ーそれが自分の橋渡しの役割りであると信じております。

まずは、産まれた育った環境と文化や考え方がそもそも違うところに、日本人の漫画マーケットの読者にも受け入れられるようにアダプテーション出来たレベルの作家の、既存の日本人作家とは違う視点の作品を市場に投入出来れば新しい競争力の種に成りうる可能性はあると思います。

そうして、何人かの成功例が出来上がって頂ければブラジル人作家を皮切りに、世界にもその流れが訪れれば、漫画への関心がもっと広がるのではないかと考えています。

未だブラジルでは漫画やコミックの類いは、知る機会が少なかった親世代や値段が高く、入手することが困難で興味が湧かなかった方々も多くいる一方で、携帯電話使用率トップクラスのブラジルでのデジタル漫画の普及と販路を整える事が出来れば、今成長を続けるジャンププラスのように他言語にも対応することで光が見えてくると見ています。

その発展によって、新たな才能を持った外国人作家も徐々に出現させれると共に、漫画産業に活力を与えられる可能性もあると考えます。